長野県小川村で、有機JAS認証を取得し、有機農業に取り組んでいます
ごあいさつ
小川村は、面積のほとんどが山林です。標高が500~1000mと高低差があるため傾斜地が多く、一枚一枚の畑の面積が小さいこともあり、大規模な農業には適していませんが、昔ながらの自給自足型農業が今も続き、日本の里山の風景が残っています。
昼夜の温度差が大きく※1、粘土質土壌で※2、山間地域である※3ため、この地域の野菜はおいしいと評判です。
- ※1 一般的に昼夜の温度差が大きいと野菜は美味しくなると言われています。これは夜温が低い方が、呼吸による光合成産物の損失が少なくなることによります。昼間に適当な温度に恵まれ、夜温が少し低めの地域であれば、光合成量が多く、夜の呼吸による光合成産物のロスが少ないため、光合成産物が種実、果実、塊茎など光合成産物の貯蔵器官にたくさん蓄えることが期待できます。
- ※2 粘土質土壌では土壌の保肥力が高く、ミネラルなどの微量成分も多く含み、健全な野菜の生育を助けます。
- ※3 山間地域では自給農家が多く、旬や風土を大切にした環境に負荷の少ない生産方法のため、土壌の疲弊や地下水汚染などは起こりにくいと考えられます。
麦ダンス農園では化学農薬・化学肥料の使用は一切行わず、適地適作、旬を大切にした栽培を行っています。
日本農林規格の有機JAS認証を取得し、有機農産物として生産販売しております。
有機栽培を支える技術として、当農園が大切にしていることは3つ。
- 土壌診断による科学的根拠に基づく肥料設計
- 野菜の旬を守り、植物自体に無理のかからない栽培
- 過剰な収量を求めず、野菜の低品質化、土壌汚染の原因となるチッソ過多栽培の防止
以上のことを守り、食べる人・作る人・環境にやさしい野菜作りを実践しています。
雪深い小川村では雪解けが始まる3月下旬から、ようやく種まきの準備が始まります。
シーズン始まりの一番最初の仕事は雪による倒壊を防ぐために剥しておいた、苗づくり用のビニールハウスの屋根を張り直すことです。5月の下旬までは遅霜の心配があるので、それに合わせて夏野菜の種まきを始めます。
雪がとけたばかりのこの時期は、秋に収穫せずに畑に残しておいた、野沢菜の新芽が貴重な青物野菜です。つぼみが黄色く膨らんだ菜の花が食べられるようになると、ようやく春が来た!と感じます。
畑の土づくりのために秋のうちに蒔いておいたライ麦を畑にすき込み、地温の確保や雑草防止のためにビニールマルチを張ったり、インゲンの支柱立てや苗の管理など、夏に向けての準備が日に日に忙しくなってくる時期です。
6月の上旬には大豆の種を蒔きます。
夏野菜の収穫が一斉に始まり、1年でもっとも忙しい季節です。
6月下旬ころからズッキーニの収穫が始まります。
インゲンは少し遅れて7月上旬が収穫始まり。
この時期はぐんぐんと気温も上がり、野菜たちの成長も旺盛です。特にズッキーニは朝夕一日2回収穫しないと、大きくなり過ぎてしまいます。
インゲンも次々と実をつけてきます。
さらに8月に入れば丸オクラの収穫も始まり、次から次へと待ったなしの収穫の日々です。
収穫や出荷作業を手伝ってくれるスタッフも加わり、大忙しの毎日で一気に農園がにぎやかになります。
この時期は畑の周りや畝の間から生える雑草の勢いもすさまじく、ぐんぐん伸びる雑草の草刈りにも追われる日々です。
それでも9月に入ると、気温も徐々に下がり始め、夏野菜の勢いもだんだんと落ち着いてきます。
1日2回だったズッキーニの収穫が1日1回になり、収穫ラッシュも落ち着いてきます。
その頃には他の野菜も終息に向かっていて、収穫の終わった畑から片付けが始まります。
9月の終わりには大勢いたスタッフも仕事を終え、人も野菜も少なくなって怒涛の日々が過ぎた安堵感と寂しさが入り混じります。
夏野菜の畑の片付けを終わらせ、土づくりのためのライ麦を蒔けば野菜畑の作業はおしまいです。
その後はいよいよ大豆の収穫が待っています。
葉っぱが枯れ落ち、茎やさやが茶色く変色する10月の下旬から11月にかけて、天気の良い日をねらって大豆を収穫していきます。
収穫した大豆はその後、乾燥~選別を経て12月ころには出荷できるようになります。
自家用野菜の葉ものや大根を残し、畑に作物は何もなくなり、夏野菜のあとの畑にはライ麦の芽が出始めています。
雪のシーズンに入る前にビニールハウスの屋根を剥いだり、作業小屋の柱を補強したりと冬の準備も終わらせます。
山に3度雪が降れば里へも下りてくる、というように例年クリスマス前後には本格的な降雪があり、今までの景色が一変し銀世界になります。畑は雪に覆われ真っ白。
春まで根雪になります。
農作業は春の雪解けまでお休みです。
そしてこの農閑期は絶好の勉強会のシーズンでもあります。
その年の栽培の見直しや来年の計画、技術勉強会や土壌診断合宿、経営勉強会など集中して頭を使う日々です。
なぜ農業適地ではない山間地域での農業にこだわるのか?
面積の約7割は森林で占められ、棚田のような小さな畑が点在しているここ小川村では、作業効率の面から見ると決してよいとは言えません。
一枚一枚の畑の面積は小さく、段々畑の畦は草刈りだけでも重労働です。
厳しい環境の中で農業後継者は減っていく一方、農業従事者の高齢化は進み、山間地域の農業は今、加速度的に衰退の一途をたどっています。
手の入らなくなった山や田畑は荒れ、野生動物による獣害は増す一方、治水能力の低下した山肌は集中豪雨による土砂災害の頻度を高めています。
人々の暮らしを支えてきた里山の姿が今、崩れ去ろうとしています。
効率だけを求めていては山間地域の疲弊はますます進んでいってしまいます。
しかし日本人は古来より自然と調和し、自然の恵みと共に歩んできました。
この日本人のDNAをしっかりと受け継ぎ、次世代へ伝え残すこと、日本の原風景である里山の存在を守り、維持していくことが麦ダンス農園の使命だと思っています。
農業という形で持続可能な社会へ貢献していくこと、未来の世代までこの地域を存続させていくこと、それが麦ダンス農園の思いです。
農業を始めるとは考えもしていなかった20代の後半。ビール醸造に興味があり、埼玉県小川町の地ビール工房へ暇をみつけては通っていました。
そこでは醸造に使うライ麦を自家栽培しており、畑仕事の手伝いをさせて頂いたことがありました。
収穫間近、自分の背丈より大きく育ったライ麦の穂が風に揺れる様は、まるで踊っているように見えました。
「麦のダンスだな~」と麦畑で思ったことを憶えています。
ここ長野県小川村は古くから粉もの文化が伝わっています。
小麦粉を使ったおやきやうどんなどの郷土食が今も日常的に作られ、あちこちの畑で小麦が栽培されています。
小川村で就農するに当たり、印象深かった小川町の風景と小川村の風景が重なり、「麦ダンス農園」と名付けました。
意味としてはFarm Dancing Wheatであって、麦の箪笥(タンス)農園ではありませんので、お間違えなく(笑)。