長野県小川村で、有機JAS認証を取得し、有機農業に取り組んでいます

2025年3月20日木曜日

 【麦ダンス農園の今後についてのお知らせ】


 来年令和8年3月を以て、麦ダンス農園の業務内容を大幅に変更、もしくは終了します。

今年令和7年については4月より小川村農林公社みらいという組織でアルバイトをしながら

一部麦ダンス農園の業務も並行して運営していきます。

8年度以降についての麦ダンス農園の業務体系をどのような形にしていくかは現在検討中です。


 突然のお知らせで驚かせてしまったと思いますが、この決断に至る経緯をお伝えします。

 

 長文になりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


 理由は大きく4つあります。

・小川村農林公社の人手・人材不足

・小川村特有の地域性

・家族との関係性

・自分自身のこと


 それぞれ説明していきます。


 【小川村農林公社の人手・人材不足】について

 小川村には地域の農林業を支えていくという目的で小川村が全額出資し、2011年に設立した

「公益社団法人農林公社みらい」という組織があります。

公社の方針を小川村HP掲載より抜粋したものから以下に記載します。

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 小川村の基幹産業である農林業を取り巻く環境は、過疎・高齢化による後継者・担い手不足などを要因に、耕作放棄地は年々増加の一途をたどり、比例して農林業産出額は減少するなど、大変厳しい状況におかれています。加えて、近年では野生鳥獣被害が顕著となり、生産意欲が衰退するなど、将来的な農林業の展望は極めて憂慮される事態となっています。

~~中略~~

 農林公社みらいは、村内の多様な資源を維持・循環させるシステムの構築を図るとともに、特色ある農林産物の開発、農業及び食体験の商品化を通じ、生産・製造加工・流通の6次産業化を確立し、持続可能な村づくりを目指す小川村の農林業振興の一翼を担いながら、農林業に従事する皆様、農林業経営に意欲を燃やす皆様の架け橋となるよう努めてまいります。

(小川村農林公社みらいHPより)

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 このような理念を掲げている農林公社みらいですが、近年公社での人手・人材不足が深刻化しており、理事長から協力してくれないかと声をかけていただいた経緯があります。

 実は麦ダンス農園としても大豆の収穫、乾燥、選別作業など大型機械が必要な作業に関して、公社へ作業委託していて経営面での依存度は年々上がってきていました。ここにきて公社の機能が健全に回らなくなることは、ダイレクトに自分の経営にも影響があり、ともすれば共倒れという心配から、公社の体制は大丈夫かと理事長へ相談へ行った際に、逆に伝えられたことが、「協力してくれないか」という言葉でした。

 農林公社への移籍を考え出すきっかけになりました。


 【小川村特有の地域性】について

 小川村の農業の特性として、専業農家が極端に少ないという現状があります。

 現役世代(いわゆる子育て中という状況)で専業の野菜農家は僕1人という状況です。理由はさまざまあると思いますが、分かりやすい形としてはいわゆる山間部で効率的な農業生産に不向きな地域であり、生活費をまともに稼ぐだけの農業経営には向いていない地域ということが大きな理由の一つです。

 農業で生活基盤を立てていくということは、生産技術や経営手腕といった個人に依る部分がまずは大きいですが、地域の生産体制や流通などのインフラといった個人の枠を超えた部分も多々影響します。

 そういった面では小川村という場所は稼ぐ農業を推進していくという、地域を挙げての動きは皆無です。

 事実、僕が小川村へ移住し就農してからの15年間、野菜で新規就農する人はゼロです。

 農林公社みらいに関しても、稼ぐ農業を後押しするという「攻め」の組織ではなく、耕作放棄地になるペースをなるべくスローダウンさせる、といった消極的な姿勢です。

 そんな地域で新規就農した当初は、知らぬ強みで平地に負けない農業生産を実現する!などとイキがっていましたが、今思えば若気の至りでした。

 今後日本の農業は集約化、機械化がますます進み、日本の食を支えるプレイヤーはその役割を効率的に担っていくことになり、この小川村という地域がそれら効率的な農業地域と同じ土俵にいては未来はないと思うようになりました。

 ではどういった形が小川村の農業の役割として適切なのか?ということをずっと考えていましたが、ようやく自分の中に見えてきた答えは、平凡ではありますが、「地産地消・地消地産」であり、「地域内自給率の向上」であると思っています。

 そこへフォーカスし、取り組みを進めることは「農の多様性」、「地域経済の循環」、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の推進」に繋がり、未来も住み続けたい小川村の姿をより現実的に捉えるきっかけになります。

 その思いに対して、自分が取る行動として、麦ダンス農園の看板を掲げて個人事業主を続けていくのか、農林公社という組織の中に入り自分の経験や知識を活かしていくのか、と天秤にかけた時、出た答えは後者でした。


 【家族との関係性】について

 僕が小川村へ移住したのが、2009年6月、3年ほど農業バイトや他のアルバイトをし、2012年4月に独立就農しました。

 就農する前年の2011年11月に結婚し、2012年5月には長女が誕生しました。

 その年から僕は無我夢中で農業をやり、妻は知り合いもいなく、慣れない田舎暮らしと、旦那が勝手に始めた農業のサポート、子育て(2015年11月に次女誕生)という人生で初めての経験が3つも同時起こるという状況に突入しました。

 それからあっという間に10年が過ぎ、次女も小学生になった頃から、夫婦の関係がおかしくなり始めました。

 詳しくは割愛しますが、妻自身今まで子育て、暮らしに精一杯すぎて、自分がやりたいことを考えることすらやめていたことが、子育てに少し余裕が出てきたことで、思考が回り出したというか、今まで蓋をしてきたことを少しづつ開け始めたというか、フツフツとやりたいことが芽生え始め、言ってみれば旦那の農業中心の暮らしに振り回されていたことから解放され、自分のやりたいことへ注力したいという方向へシフトしたこと。結婚以来、当然のように新規就農者は夫婦揃って成功するために一致団結して歩んでいくんだ!という自分の思い込みからくる、すれ違いが夫婦間の関係を悪化させていたことに気がつきました。

 「必死に子育てに向き合った10年間、やりたいことを考えてもどうせ実現できないから、心が苦しくなるだけだから思考停止していた」妻の言葉です。

 時間をかけて、妻と話し合う中で、今まで好き勝手やらせてもらったことへの感謝と、これからは妻が本当にやりたいと思えることに注力できる環境を、共に作ることに向き合っていきたいと考えるようになりました。

 そして個人事業主として農業を続けていくことは、その関係性を構築する上で非常に困難なことだということを感じています。


 【自分自身のこと】について

 この13年間、農業を続けてきて、自分の特性や方向性がだんだん分かってきました。

 その中で、個人事業主として農業を続けていく上では相応しくない特性も見えてきました。

 いくつか挙げてみると

・経営に興味がない。経営者としての自覚、興味、特性がない、もしくは足りない。

・雇用主、従業員という関係づくりが上手でない。人を雇い規模拡大していくという器でない。

・トップに立って組織を引っ張っていくタイプでない。

・栽培技術はもちろんその他にリーダーシップ、マーケティング、ファイナンス、タイムマネジメント力、健康維持管理等々農業経営に関わるすべてのことを一人でコントロールしていくことは、自分の実力を考えた時に非常に達成が難しく、非現実的な要求である。

 他にも挙げればいくつもありますが、主にこのような理由から個人事業主として農業経営を続けていくことへの限界を感じています。

 世の中にはゼロから立ち上げて、農業経営を軌道に乗せている素晴らしい人はたくさんいて、そんな人が見たら甘いと思われるかもしれませんが、その通りです。

 農業経営を継続していくことは、そんなに甘くないんです。そして自分は甘かったし、ストイックに向き合い続けられませんでした。


 その反面、好きなこと、向いていることもよく見えてきました。

・営業が意外と得意、好き(これは大きな発見。農業を始める前は自分にとって営業職は最も向かない、またやりたいと思わない仕事の一つだった)

・人と関わりながら何かを作っていくことが好き、仲間やチームで作り上げていくことに喜びを感じる。

・屋外での作業、農作業、体を動かすことがやっぱり好き(いわゆるホワイトカラーな仕事にはついたことがなく、体を動かすのが好きなのは昔から変わらず)

・野菜を食べることが好き、もちろん作ってるからということが大きいですが、我が家の野菜消費は相当な量で、農業やってる喜びの大きな部分です。でもこれって本来農業経営とは全く関係のないこと、それだけやりたいなら家庭菜園でも実現可能です。

・地域コミュニティの中で、人との関係を作っていく過程において人が喜んだり、嬉しかったり、楽しかったりすることに関われることに大きな喜びを感じる。


 こう書き出してみると、自分自身のこと以外の3つの要因は考えるきっかけにはなっていますが、結局最後、決定的にしたことは自分自身の特性に因るものでした。

 自営農業を継続しないという決断は、誰のせいでもなく僕自身の性質、特性であり、13年続けたからこそ分かったことであり、そこへの後悔は一切ありません。むしろ今後の人生において、とても大切なことに気づけたと思っています。


 これからの自分の役割、進んでいく道はどこなのか?

 今後日本の食糧基盤を支えていく農家はより規模拡大し、生産効率を上げ、画一化されたものを確実に消費地へ届けていくという役割を担っていくであろう中で、小川村という山の中にある、小さな畑が点在している場所での農業のあり方は全く別のものであり、小川村の農業の在り方は地域の環境や暮らしの豊かさといった点によりフォーカスしていくことだと考えています。

これから小川村やその流域を含めた地域で大切にしていきたいこととして、いくつかキーワードを挙げます。

・農の多様性

 小川村という地域性を考えた時、専業農家に限らず、様々な形で農に関わる人が増えて行くことが、地域を豊かに維持する。

・地域コミュニティ 

 人のつながりを感じ、お互いを支え合いながら生きていくこと。そういった関係性を子どもたちの世代へ繋いでいくこと。

・地域経済

 小川村が豊かに発展していく経済の形を模索し、農がどのようなあり方であればそこへ寄与できるか、という視点をもって行動していく。

・地産地消/自給率向上

 小川村としてできることによりフォーカスして取り組めば、まだまだ大きな可能性がある。単一作物の大量生産には不向きだが、米、豆、麦、野菜、果樹となんでもできる風土がある。漏れバケツの穴を塞ぐという地域経済への効果も少なからずあると思う。

・仲間との協働

 地域の仲間と同じビジョンを共有し、目標を持って進んでいきたい。

・ソーシャルキャピタル(社会関係資本)

 様々な立場の人がいろいろな関係性の中で、それぞれの能力を発揮し合いより良い社会を作り、そこへ関わり合いを持ち地域コミュニティを形成していくことこそ、そこに生きる人たちの幸せにつながるという信念。


 これらのキーワードを軸に自分のため、家族のため、地域のためにこれからも小川村でわくわくを感じながら生きていきたいと思います。そのために今の自分にできることにきちんとフォーカスし、行動していくことが自分の役割だと感じています。

 麦ダンス農園の『小川村の未来に灯りをともす』をミッションに、『心踊るテロワール・ヴィレッジの創造』というビジョンは変わらずに、今後もこの小川村という地で歩んで行きたいと思います。


 今後の具体的なことについてですが、2025年は農林公社への移行期間として、農林公社でアルバイトをしながら、野菜生産の規模を縮小し、麦ダンス農園を継続していくという二足のわらじスタイルで行きます。2026年(令和8年4月)からは農林公社へ就職し、職員として働いていく予定です。

 その後、麦ダンス農園を完全に閉じるのか、何らかの形で維持していくのかは検討中です。

 いずれにせよ自分のビジョンとミッションをより具体的な行動へつなげていくために、麦ダンス農園という個人事業主の立場であり続けるより、公益社団法人という組織の中で今までの経験と自分の特性を活かし、より良い村のあり方へ貢献できるよう進んでいきたいと思います。


 今までのような麦ダンス農園というスタイルを止めることについては、一抹の寂しさはもちろんあります。

 ただ、天の目で空高くから下を眺めた時に、麦ダンス農園という看板を掲げてようが、農林公社で働いていようが、大した問題ではなく、大局的に見てより地域へ貢献できるという選択が大事であると思っています。


 今まで皆さまの応援があり、ここまで続けて来れたことに感謝しています。

 今後は形は変わりますが、変わらず大沢収として、お付き合いしていただければ幸いです。

 本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。


明るい農村の未来を夢見て  2025年春               麦ダンス農園 大沢 収


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